短時間でも巡れる宿場町!コンパクトな中に歴史を感じる町並み、城跡、神社がつまっています!
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- 和田宿の歴史
和田宿、と聞いて「あ~あそこね」と想像できる人は少ないのではないでしょうか?長野県の真ん中らへんにある諏訪湖、そこから142号線を北東方向へ進むと右手に「道の駅和田宿」が現れます。⬇
私は上地図の番号のように巡りました。①道の駅和田宿に車を置かせていただいて、徒歩で2時間弱。時間が早かったので、施設内部の見学はしていません。⬇
- 和田宿本陣(国指定史跡)
- 開館時間:AM9時~PM4時(12月=3月まで冬季休館) ☆月曜休館
- 共通観覧料 大人(高校生以上) 300円/人 子供(小中学生) 150円/人
- 駐車場 すぐ隣に6台くらい
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- もともとの本陣(長井家)は1861年3月の大火で消失しました。その後11月に復興(詳しくは和田宿の歴史へ)しました。建物内は大名が泊まる座敷棟と生活空間の居室棟とに分かれていました。和田宿にあるのは居室棟で、座敷棟は上田市の龍顔寺に移築されています。
- 和田城跡
- 本陣を出て右手、178号線(美ヶ原和田線)をまっすぐ坂を登っていくと、左手に釈迦堂橋の立派な目印がでてきます。それに寄っていくと近くに和田城跡入り口が見えてきます。私が行った時は落ち葉が多くて少し分かりにくかったので注意です。道も落ち葉で一杯で滑りやすいので注意です。
長和町指定文化財
和田城は古峯山の細尾根に築かれた連郭式の山城です。戦国時代の和田郷を支配していた和田大井氏の居城、麓の信定寺周辺は居館跡とされています。
1553年に武田信玄が東・北信濃の侵攻にましたが、村上義清が塩田城に籠もって抵抗しました。この時和田大井氏も抵抗しましたが同年に武田の猛攻により敗北しました。これ以降和田城は武田氏の兵站基地として機能しました。1582年に武田氏が滅亡すると真田氏が代わって支配するようになり廃城になったとされています。
- 熊野神社
和田城跡で一息ついて和田宿を左手に見ながらちょっと分かりにくい遊歩道を歩いて行くと杉林に囲まれた中に熊神社が見えてきます。この辺は緑がキレイな時期に来れば気持ちいいだろうなと感じました。私が行った時はまだ日が当たる前だったので、肌寒かったです。小さいお社ですが、きれいに掃除されていて大切にされている感じがしました。
長和町指定文化財
峠の神様が祀られています。長野県と群馬県の県境に位置する熊野神社から勧請されました。
- 新海神社
- 熊野神社からさらに5分ほど歩くと左手の木がなくなり視界がはれます。気分が変わったところにあるのが新海神社です。写真を撮り忘れてしまったのですが、こちらも綺麗に掃除されていて大切にされていました。神社の向かいからは日の出が綺麗に見えそうです。
長和町指定文化財
戦国時代に和田郷が和田大井氏の所領でした。和田大氏は長野県佐久一帯を支配していた大井氏の一族だったので、佐久の新海三社神社より勧請されたものと伝わっています。
- 歴史の道資料館(河内屋)
新海神社から和田宿の方に降りていくと「脇本陣」という大きな看板がでてきます。その場所を右手に曲がりまっすぐ進むと、和田宿のメインストリートにでます。当時の雰囲気がのこる建物の間を散策することできます。
開館時間:AM9時~PM4時
共通観覧料:大人(高校生以上) 300円/人 子供(小・中学生) 150円/人
和田宿は中山道の最高地点・また最大の難所とされた和田峠(約1600m)に続く最後の宿。また次の宿である下諏訪宿まで約22km(標高差800m)であったので、ここを利用する大名行列・旅人が多く、信濃26宿の中では規模が大きい宿場町です。
1861年3月に大火により本陣含めて宿場の大半が消失する災害がありました。同年11月に皇女和宮の御下向(都から地方に行くこと)の予定があったため、幕府から約2,000両を借り町並みを復興させ御下向を無事に迎えました。